Never give up

人類が月に到達できたのはそこに立っているという意識があったからです。

(イメージ

昔は近所の公立進学校に行くことを強くイメージしていました。制服まで自宅にある。で、時は流れて自分は受験も出来ず。その公立も落ちて東福岡に行く。何故かその後妹がそこを受験して受かる。強ち的外れでもなかったかな。今は何故かパートナーと暮らすイメージが有る。かなり色濃く。基本独りで生きていかなきゃと思い始めた反面、何故か在るというイメージはあるんですよ。頭にあることはいつか現実になる、そういう漠然とした思いがある、いや予感かな。なにはともあれイメージって大事です。

昨日はアマゾンでタンクトップと靴下、短パンを買いました。どれも持っているものの補充に近い。冬は暖房とダウンジャケットで済むけれど。夏は着替えるタイミングが頻繁だしどれを着ても足りないくらい。特に室内専用でタンクトップは新鮮な気分かも、段々と年を食うと着るものに無頓着になる、お洒落がどうでも良くなる。なぜか。。。下半身の衰退。もあるけれど周りを誑かそうなんて思ってもみないんですよ。髪も自分でバリカンで剃るし。合理的合理的。

中学数学

最近アプリではじめました。結構歯応えがあるんですよ。昔ってこんな勉強だっけって?Pythonを暫く休めてこっちをメインにしようかなとも思う。

ゼロ

無限がアートマンならゼロは誰なのか?そもそもゼロと無限は表裏一体だし愛子の場合はそれがモチーフだった。今回、ようやく物事の仕組みがわかってきていてお化けのように襲いかかってきた。愛子たちに思い入れがある理由はゼロは無とも関係が深い。とにかく詰め込めるものが多いゼロ。あなたの考えようでは大きな存在なくてはならない存在。無いんだよと思えばそれまで。

愛子は拡散的な思考と捉えられているけれど実は収束に近いしかもいい塩梅。微分に近い部分がある。逆に若子達は無限大を表現しているから、果てがない。自民党も実は無限大に考えていたりして。教会ではゼロと無限は認められないという時代があったそれは今までの神の理に真っ向から対峙するから。一瞬に今の秩序を破壊する。今は虚数とネイピア数を取り入れるのに四苦八苦している。ついていけないという人が大半。とにかく古い道徳と戦うのは宿命ですね。孤独にもなるわけさ。

前置きは長かったですが理論上、ゼロの人間は愛子達以外にもいる。零と言っていい。数で考えているうちに頭ん中では如何に被弾を避けるかばかり考えている。人間守りに入るととんでもないことになる。打って出ようにも無限大のトヨピラとは違って何処に在るのかすらわからない

ATは素数を表現していて。多分無限にあるんだろうけれど桁が跳ね上がるに連れて段々皆やる気が無くなっていった。ドラクエ路線との組み合わせで軌道に乗った時期もあった。数の原子の如く自分の精子の老化をまじまじと観察できたシュミレートでは壮年期が40代をピークに落ちていく。50代でリバイブするけれど此処が最後の灯火になる。

今は身の回りのことを自分でできることを探している。趣味とすっぱり切れたわけではないんですけれど。若い頃は売れたい一心だった。虚栄心がどれだけ後になって自分に恐ろしく作用するのかを知って当り前のことを当り前にすることを掲げるようにした。自彊館の女子部も一番難しいのは現実をどう生きるかだってやっぱりインターネットや本だけでは当り前の答えに到達できないことも在る。

大学は活字をよく読むようになって、読後に頭が成長した気分になった。20代くらいからネットでフェイスブックに出会いこれも頭が良くなる気分だった。最近頭が良くなる実感ってPythonを触ったくらい。ゲーム→漫画→活字→SNS→プログラミングの順番で変遷している。このブログも頭が良くなるといいたいですがアウトプットが全てなので実際は復習に近い。インプットのバランスが乱れると段々ネタもマンネリ化するし文章に切れがない

最近文章の出が悪くなっている、原因を探るとやはり身を固めろという世間の風だろう(?)

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