大好きなたっちゃん、これからも一緒にいようね
(レナ
もはや二度と同じ日はないんだぞっていう胸を張って言う機会がめっきり減った中年。この年だししょうがないねっていう。大学卒業が22歳くらいその先40年50年と同じような日がある。結婚でもしたら変わるかもっていう人いるけれどそんな気力は到に失せている。しかし人生100年時代まだ50年近くか。そんなに生きるとは思わないけれど、可能性を決めつてはいかんな
しかし、起きてから30度ある室温は寝苦しく、なるべく今年は暑さに困らない対策を取りたい
勉強
いわゆる、ゲームハードのように書見台だのアームだのを取り付けている。大原の参考書を開く専用もあってか、ゲーム機はみんなそうですがやるゲームがなければ面白くないです。可搬式の机が結構うまく機能していて、問題集開いては電卓叩いています。
ヒガシズム
当時、なぜかキョンキョンの渚のハイカラ人形をうたっている奴がいた。松原前校長はやったね、全然本気の部分をこんな表現は日本語にないという。全然をつけたら否定形になると。後BOOWYの事をブ~イと読みますと発音のことまで指摘していた。国語の教師だからこそでしょうね。
母ちゃん
なんか最近、忘れ去ろうとしている。その忘れ去ろうとしている理由がクイーンの台頭にある。昔は分厚いゴムのようにあった隔たりも剥き出し状態になっている。謂わば我47にして立つ。ではなく第三者も同じような視点になりつつある。昔は家族だけで生きてりゃいいやっていう幸せの物差しがあったけれど、離れてく母親を見てはこれが人生だなと思う。向こうがどう思うかは知らんが分け隔てなく色んな人を思えばいいよね
7月
今月で一応今年納め。来月から来年の計画経てるわけですが、時の無常さを思い知る。光陰矢の如し。明日やろうって思うことは大抵上手く行かないという。じゃいつやればいいのかっていうすぐに取り掛かるしかない。今やらないことはいつできるのかっていうのを毎年嚙み締めています。結局長く持続するのも自分、短く終わるのも自分
趣味
エアギターだけは続けている。しかし、楽器から電卓に鞍替えしたものの遊び心の微塵も無いことに気付く、ゲーム電卓は突き詰めたっかったんですがね、どうにも時世が許さなかった。消防の頃、PCエンジンのR-TYPEを見て衝撃だったんですよ、家庭用でここまではじけるのかっていう。あれ以来続編はごまんと出ているけれど、初代のインパクトを超えることはなかった。今やタクティクスに変わっていますからね。反射神経の鈍くなったおいらにぴったり。それにしても昔はハードの特性がソフトに如実に表れていたけれど今やマルチプラットフォームで個性激減。どのゲーム機買うかより、どこまで融通が利くかになっている
副首都
結構福岡ではごたごたしてる、期待する半面不安の声もある。第一こんな狭い場所に首都機能を持ってくる事態、お門が違うような気もする。少し地下鉄も通って天神ビックバンが起こって博多コネクティッドもあってウォーターフロント計画もあって色々仕掛けはあるにしろもういいやていう。ただ人口が減っているじゃないですかその辺りが一抹の不安で、マダムも昔からこの町と一緒で彼女の存在=福岡になりつつあった。昔はエリカだったんだけれどよくよく考えると屋台骨から支えていたのはマダムだった。
正直後から出るわ出るわ色んな人が、こう考えるならば福岡って色んな人たちの支えの賜物だった。そもそも僕はどこにいるんだという。東京のど真ん中でIを叫ぶ
最近買ってよかったもの
ありきたりですが蛍光ペン。会計法規に引っ張りまくっています、あとバイブルにも。昔は教科書はそこまでボロボロにしなかったんだけれど使い込むにつれ自分のものになっている感じ。自分なりにカスタマイズすると愛着もそうですが、理解の進捗度がわかる。躊躇わず線を引いて汚すことですかね。どうせ自分にしかわからないんですもの。
もう50近くにもなるとこの先二度とこんなことすることはないよなって思う。この場所に行ってもあの場所に行ってもあぁこれが最後かもっていう。一種の儚さを知るときにも近づいている。しかし後ろめたさがあった若年と違い、なんか後ろが真っ白なんだよな。出会いはある、しかし同時に死という避けられない運命の文字がだんだん大きくなる。だったら悔いのないように前世の償いも済ませつつ、来世に期待。。。してもいいかな
80年代いかに恵まれていた時代かがわかった。90年代文化の坩堝だった。00年代、そのつけを払っている。
