その玉子は生みの親とは別に特殊な人達から温められていた。孵化したときには既に心は染まっていた。ここが自分の場所なんだなと、うまれた時には到に忘れていた。自分の名前も生みの親も。しかし縁は切れていなかった。あっさりと我に返った
(身の丈を知る私
この明るく冷たすぎる性格、誰に似たんだろうと考えたことがある。多分典ちゃんかなとも思ったけれどなんか違うしね。最近ヒガシから遠ざかってみて、俺ってこんなに強かったかなと冷静に俯瞰で見ると近くに別の学校が存在するんですね。あと青果店も当時は二件あってかよく比較はしていたんですが、やはりどちらも哲学が違うけれど一方は毎週金曜日くらいに開放日を設けていた。客が行列を作る日が毎週あって普段から買い物しない人でも平気で列に並んでいる。結局長続きするのはこっちだったりする。
店のダスターも上物があって生地の良いものは長続きした。生まれながらにして差はあれどこれは致命的だと思いましたね。何が言いたいのかと言うと運が殆どとは言うけれど素質も殆どなのかも知れぬ。不平等だとは言わないけれど何とかこの差を受け入れなければ
仕訳漬け
大体100問強解いています。毎日解くとすぐに4〜500問は軽く行く。ただ解いている問題が3級なので負荷はあんまりかかっていない。基礎的な仕訳を徹底的に解いている最中です。無論個別も解いている。理想は思考せずに反射で解けること、体が勝手に反応するみたいに、これってスポーツに近いね
しかし企業会計も2級辺りから株式や為替が入ってきてマネーゲームになる。良いもの作るには小口現金を扱う零細のほうが良いのかも知れない。投機の対象になるってある意味、株主に諂うようなものなのですよ。だから自分の作りたいものってなかなか作れないし生まれないだろうなと思った。
集荷
出雲は國學院が優勝したみたいですね。イドの炸裂を見ていると納得。思うに三大駅伝とは神の元に行くのではなく神が呼ぶんです。だから貢献度も含めて総合的に縁のある学校は選ばれている。日本駅伝と箱根がまだ残ってはいますが今の國學院を見ると如実に現しているなと思う。
で買うもんがあるのはあるけれど何時投下するか迷っている。額がでかい上に今の円安。財布の紐も締まる。ただチルプロ自体新しいものは出にくい状況なのは確かで、これ以上の概念ってあるのだろうかっていう。マルチもス〇〇◯もあるんですが、変態っぽいのと、あと青◯もやめろと言われているしこれが現実なんです。地球環境が滅茶苦茶区になって住めなくなる前にここは一つ自制しよう
丁度
大体90年代の音楽をなるべく控えて、2000年代の音楽を聞くようにしています。良い意味で枯れているんですよね。90年代後半はマリファナ臭い気がする。後にAKBが出て来て日本の音楽に終止符が打たれるわけですが歌詞がわかりやすかったそれ以前の音楽を聞いています。しかし心に残るような曲がめっきり減ってしまった。昔は当時を想起するうえで重要な財産だったはず
ミリ
まぁ監督です。彼女の陣頭指揮なしに勉強は進まないでしょう。しかし過ることもあって彼女はまだ本調子ではないのではと思う。それだけの潜在パワーを感じる時がある。勉強は一足飛びには行かないから地道に一歩づつ進もうという意思を感じます
ばけばけに関しては自由にやってほしいんですがモチベーションが上がるような作りを期待しています。やっぱ朝から一発目は清々しくスタートさせたいよね。いつも後ろ姿を拝んできた仲から少し変わったのかなと思う。
しかし簿記論、個別、基礎編まではトライアンドエラーでやって来たのに応用、過去問になるといきなり体感的にきつい。やはり一級を完全にマスターしてからだったのだろうか。何時まで経っても慣れることのないこの論点の豊富さ。今年一年と来年捧げるつもりで頑張ります。
よく考えると隣りにいてくれる人のおかげだよと思う。俺の人生もらい人生。生かされている。
