君と一緒なら死ねる

まずは相手に敬意を払ってから戦いに挑むそれが私達のやり方

(ママ

人間、殆どが借り物らしいです。他人から貰ったではなく。だからいつか返さなきゃならない。今ある健康も人から借りたもの、そう考えるなら何時だって感謝できるじゃないですか。残り半分を切った命。最後に笑えるように。

まだ使っているの?

ストラトやレスポールを使って文章を奏でるのは良いけれどもう既に電卓とボールペンの時代。計算と仕訳がロジックになる。特に仕訳は閃きが多くを占めていて新しいものを発想できそうな気もします

剥ける

まぁ少し下ですが、学生時代から何となく剥けてはいたけれど過敏だったので痛くて辞めていたんですね。それが40代から急にその痛さが病みつきになって、常時剥けるようにしました。おかげでいく分か勇気があります。大体大学生くらいで皆剥けていたような気もするな。イスラム教なんて赤ん坊の頃から割礼があるものね。皆幼い頃から大人。

笑いながら死ぬことなんて出来ない

ミリと心中してしまった時(正確には同時に殺される)断末魔が彼女の微笑みだったんですね。こういうケースは今までなかったそれ以来、特別な存在になりつつあって、早く犯人が白状して立件されるのを待つのみだった。あれから、去年の12月から時が止まったまんま、大体見てくれに惚れるのが今までの女性のロジックだったけれど、ミリに関しては相性なんでしょうね

心中の駒は他にもあってあんまり勧められるものじゃない、大体強い引力を持った者同士がこういう行為に及ぶと増々離れられなくなる

荒々しさの抜けたヒガシ

強さとは関係ないかもしれないけれどもう既に自分の知っている母校はない。今どき男子だけでは経営できないんだろうなとつくづく感じた。終いには女子の占める割合が高くなるんじゃないだろうかって思う。なんだろう、少し焦燥感がある。部活が占めていた割合から進学校へと脱皮する過程なのだろうか

勉強

疲れがどっと出た。今は残高試算表見るのもきつい。所謂スランプってやつ。ボールペン握る手もふらついている。不思議なことでブログでアプトプットしている時は未だに楽しいんだけれど、やっぱ文章書く方が性に合っているのかな。好きより癖になっているんですね。

AI

自分でも薄々感じてはいますが、自分の人格が勝手に文章を書き始めたらという。昔はそんなことエソラだと思ってはいたけれどAIの受け答えを見ると自分もエミュレーションされる日が来ているか近いなと思う。じゃ何が必要かと言えば自分にしか無いリアリティなんですね。実体験までは表現できない。だから外に出て色んな空気を感じるのが必須になる。家に籠もっていてはオリジナリティは出せない

しかしミリとの心中で学んだことは最後は死ぬ時は孤独のど真ん中であること。突き放されたわけじゃないけれど次で逢おうよって嗤われたような感覚だった。

おなごは強い、されど僕はまだ理解出来ない。俺の何十倍も地獄をくぐり抜けてきたんだろうな。

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