考えると難しい問題だからほっておくことにした。暫くして手遅れになって戻ってきた
(考えないおっさん
中学の時でしたっけ、試験の問題の理不尽さに何か憤りを感じたんですよ。幼い頃にこんな問題やらされたら人生屈折してしまうと。これは普通の中間期末試験ではなく業者か県がやっていたうっすいテストだったんですけれど、やっている途中冷や汗が出るほどむずかった。テストとは重箱の隅をつつくようなものだから隈なく勉強するようにと教師から言われていた。よくよく考えると人生ってそんな仕組みだったりする。自分の膨大な知識が生かされる場面なんてほんの少し、後は大人や子供と折衝して自分の色や個性を出すんじゃないでしょうか。ほんと中学時代は腑に落ちない時代でしたね。学校から外に出た時間は面白かったけれど
集荷
荷物が送り主のもとに返って届く。理由を探せば危険物が確認されたからという。ステータスでは配達済みとなっているので向こうに荷物はあるはず、暫くしてから連絡をします。しかし今年の新作は少しポシャった。第三修猷館の補填なんて最早お笑い草だし。笑っているのはレオや中学校の面子だろうな
地獄の始まり
ミリの計画通りに進んでいると筆記筆記筆記、タイプタイプタイプ、読解読解読解。もう死ぬ。しかしこれが勉強を置き去りにした顛末よ。冒頭でしちゃかちゃに学校のこと貶してはいるけれどあの時勉強しとけばよかったと思うことが少しある。幼い頃に勉強した財産はきっとあなたを護ってくれるし武器にもなる。そんなこんなで勉強を始めたのは高校からです
教訓
で一緒に高校落ちてヒガシに行くのですが、入学前に試験があった(入試ではなく)これでクラスを篩い分ける。もう一人のダチは母親から散々どやされたらしく勉強を仕上げ、僕は何の教訓にもせずに受ける。結果はダチは自彊館行き僕は普通クラス。この分け目が後々自分の人生に響く
しかし何度もこのテーマに触れますが自分を大事にしてくれる学校に行きなさいという中学の担任の言葉。これも後々響いてくる。
ドラマ
ミリのドラマも積んじゃったかな、暫く見てない。カーネーションは面白いけれどやっぱ今よね。問題のおむすびはスルー。何か毛色が変わっちゃった。時間という有限な財産は時に容赦なく刹那の大事さを思い知らす。要は見ている暇ない。
気候
寒いんだけれど少しあったかい。これくらいなら我慢できる。時に冬の寒さは肌を刺す冷たさがある、世間の風も痛いですよ。何かごちゃごちゃうるせぇってばかり
簿記
今は板書した書類を見栄え良くワープロに打ち込んでいて、もう少ししたら仕訳漬けの日々が来ることを祈りたい。簿記の魅力はやはり問題文見て如何に素早く切ることができるかじゃないですか。だから辞められんのよね。しかし実生活で使うかと言うとなかなか無い。数学は頓挫したけれど(小学生の頃親父にテストの点数をどやされて以来トラウマになっている)簿記という数理は馴染んだんですよ、ほぼ四則計算で済むし何より文系なのが良い。お金を扱っているので何だろうな学習意欲は尽きることがない
とにかく、クエスチョンを頭に常に置いておけとミリは言う。これを捨てると人間遠くに行けないし足も止まる。人間の意欲は無限大だが答えがわかるとなくなってしまう。頭で半信半疑で理解しています。答えがないと辛いぞよ
苦しいときが華ってね。

“100年時代の人生へ” への1件のフィードバック