いつの間にかなっていた自分とそうなりたいと思っていた自分。ギャップは激しい
(中年の手記
うん、そうですね。皆にはなるべく伝えないようにします。後の始末は任せました後は責任取ります
今日は複雑な日でした。というのも中途半端にスケジュールが組まれたから進んでいた途端にとんぼ返り。心臓に悪いわ、精神にも応えるわでロードマップまた引っ張り直さなければいけない。人生は時計のように進んでいて針を戻しちゃいけないんですよ(泣き)というわけで何の話かはわからないけれど自分の運命の恐ろしさがわかる
ブロガーの思い
小学生の頃はよく表彰される人とそうじゃない人真っ二つに分かれていた。作文のコンクールで佳作ですら貰ったこと無いです。上手く書いていないのか何を書いているのかがわからないのかどっちにせよ妹がよく賞を貰ってくるのを見て一度は味わいたいよなぁと羨望だった。それから中学くらいだったかあ論文の試験があって結構不満が募っていたその時期、教育に対する指導みたいなことを書いたら外部の採点なのかな?正確無比に反論を理路整然と書き述べてきたのでやっぱり見てるんだなぁすげぇと思った半分、少しは酌量してくれよという感情の部分を求めていた。学校で培われていたのは日頃の社会に対する不満やもう少し遊び心はないのかという憤りだった。コンビニ、ゲーセン、本屋、レンタルビデオショップ。学校が終わったらこれらが待っていると思っていた。だから典型的な落ちこぼれですね。転機は高校からで公立落ちてもういいやって思っていた時期、偶々2年の時呼ばれた進学クラス。そこでは強制的にびっちり授業があった。正直しんどいと思う時が何度もあった。しかし公立落ちたときの恐怖が過ったし。何より男子校だったので余計な煩悩がない、いじめもない。勉強していたんではなくやらされていた。それでも学校終わったら遊んでいたけれど自分の今の原点はあの時鍛えられてたからだったと思います。よく人に依れば人間は幼稚園くらいで極まってしまうと言うけれど僕に言わせてもらえば老人になっても覚醒してしまう人はいると思いますよ。でもあんまりいないかな。結論としては天才なり秀才なり鍛えられるものだと感じました。幼少の才能をそのまま開花させてただの人になってしまう人もいるし、で、本題は僕は勉強と関係なしにノートに書くことを心がけていました。世界史の板書をただまた板書するだけ。何度もインプリンティングする。無論点数は取れません。一度書いたことを二度書いても労力の無駄なんですがこれが20代30代と先になって気づくことがありました。記憶は残らないけれど経験は残る。羅列ばかりやっていた時期が突然開花したのがそのくらいでこれって今の勉強に近いんですよ。無論ブログも。手を使うことはとても重要で、特に筆記を辞めると文章量と力に大きく響きます。
そうなるとやはり幼い頃に努力なり苦労なりしたほうが大人になっていずれ開花する。これって無駄じゃねぇのかなとか何の意味があるんだろと思うことに邁進していた時期があっという間に変わるときもある。半信半疑はなるべく捨てて何かに没頭している自分が欲しい
櫛田神社
近くに分社がある、結構入り組んだ場所にあるので最初見つけるのに手古摺ったけれど。。。。誰の家なのかな?神社は神の祠。家のようなものだから、こんな近くにあるんだから縁があるんだろうけれど最近菊池と離れ離れになっていろんな神社を巡る。
世界史続き
デジャブ感覚、これが試験に身についたら占めたもの。あっなんか見たことがあるぞっていう感覚。何度も書くことはそういう意味合いだったはず簿記論も問題用紙全部ビジュアル的に暗記するくらいやり潰せばなんとかなるかも。しかし、全ての科目が丸暗記科目に思えてしょうがない、ここからクリエイティブがでてくるんだから。悲しいけれど事実なんだ
大学ではいきなり教授からここは一流ではない君達はそういう大学にいるんだ。後私のゼミは出席しようがしまいが単位を与える。かなり挑戦的なことだったんですよ。他の教授が愚痴をこぼしていた。だけれどこんな空気吸ってたんじゃ伸びるものも伸びねぇ。大教室の講義は週刊誌を読んでゲームボーイはやりすぎだなと思ったけれどウォークマンくらいはいいかななんて。それにしても無駄が多い人生だった。誰かが上から見ているのにも気づかずに
