80年代が幸せだったのは誰かが犠牲になっていたからなんだ。これから生きる次第、誰かが不幸にならなくてはいけない
(諮問機関
ナイトメア、それは恐ろしい。だって逃げ場ない。時々半身が痺れるくらいの強烈な夢を見る。平和は高く付く僕は何も望まない
集荷
買おうかなと思うのがちらほら対価のわからないものは基本スルーですが、最近ドイツのイデオロギーが日本の文化に水のように馴染んでいて似通っている部分、あぁこういうものが欲しかったんだとか色んな意味で頷いてしまう。
世に奇妙
久しぶりに少し見たら相変わらずぶろい。小学六年くらいから始まったんですがその当時も結構トラウマっぽいものだった。暫くしたら当時を思い出すかもしれない。しかし星新一と言い僕の路線はホントはこっちかもしれない。
バレー
アイナがお冠。というのも彼等もそろそろ待遇の面で改善が欲しいという。やっぱりなという反面そんな予算何処で割いてしまうんだよって冒頭で述べた通り誰かの犠牲の上に幸せはあるんだってそれがアイナ達とは公言しないけれどやっぱり正直に言えばそうなってしまうのかな?
蛇足ですがそろそろAIにも法の整備が必要だと思います。兵器などにどんどん応用している。最終的に誰に責任があるのか?プログラマだとしたらどんな形になってしまうのかなど人間の欲望がどんどん添加されているような気もする
勉強
嫌々でやるならしない。と心に決めている。大人になって勉強しなさいなんて言われることはなくなったし。だから趣味なんじゃないかなって思うけれどこれもチャレンジと思ってやっている。特に数理に弱いということがわかる。DSのレイトン教授も解くのがややこしかった。やっぱりこういうのって馴れなんだろうけれど苦手じゃ。
川崎重工 VS 石川島播磨重工
要は報徳とヒガシです。最近良く比較されちゃうんですよ。奇しくもIHIは福岡に高校が存在しないような存在。中学の頃のリビドーというものは一番凄かったような気がする。かといって高校が劣っているわけでもなく複雑。カワサキはいろんな物作っているけれど最終的にバイクがあるから身近に感じる。
正直厨房の頃って滅茶苦茶だった。高校入試を控えているのにジャンプ、ゲーセン、スーファミ、ゲームボーイ。おかげで共通テストでは全く理解できない状態で受けていた。大濠も受けることが出来なかったし。自転車で片道40分以上距離に換算すると6km以上そんな遠くのヒガシに通う羽目になった。それからですよ真面目に勉強させられたのは。
まぁ担任もギリギリのラインで受けるのであればお前を大事にしてくれる学校を選びなさいと慰めじゃないけれど太鼓判を押してくれた。結果高校では浪人はほとんどいなかったような気がする
何か最後のほうが自分のことばかりになってしまった。要は重工業の凄さを伝えたかったんだけれど。
中学と高校、たしかに時系列で考えるなら高等学校なのでしょう。しかし最近じゃ中学も同じくらいに台頭している。昔で言えば15歳って元服でしょ?大人なんだろうけれど一番元気があったよ。
