ダゴられて
ダゴられて強くなれ
(美輪明宏
テレビ、ゲーム機、パソコン、スマホ。次のステップは英語ってことになる。特に外国語を使っている自分は別物に気付く日本語だけでは窓のない部屋にいる感じと揶揄される。ゲーハー戦争も下火の人生。当時ウィンドウズ98はとても画期的だった。マックユーザーからは何だ既に我々に実装されているじゃないかと声があったけれどDOSユーザーにとっては朗報だった。インターネットの入口と言う事を考えるならばこれが最初だったんじゃないかな。あれから20年以上パソコンは既に生活家電に埋め込まれつつある。というよりインターネットに繋がればいいとだからあのときの衝撃はないかな。プレイステーション、ウィンドウズ、アイフォン、ChatGPT。これらに変遷する。思うにおっさんになってしまった俺の感覚器は最早そんじょそこらの発明じゃイレクトしない。この発明の節目は後にバラしていきます。若子や愛子やさとみの出会いに繋がる。
なんか淡白な話題から始まったけれどこれが現代文明の現実ですよ。黎明期は良いけれど。段々複雑になっていく。テクノロジーの進化が必ずしも幸せを生んでいくという構図は崩れ去っている。けっきょく今の癒やしって外で飼っているメダカ見たり育てている野菜見たりそんなんが今も変わらずあるし
AI
そろそろ次に行くかなと思っていたらアイナも急に矛先を変えてくる。正直、各社挙っていろんなAI開発しているけれど大丈夫かなと思う。というのも生産性があんまりないんですよ。人が手や頭使ってやるものじゃないから。車もMTからATにかわって頭使わなくなったよねと話していたらこれだものなぁ。何でも委ねているといい加減人間すべて駄目になるよ。誰かが言っていたけれど適度な都会適度な田舎。これを公約に挙げていた市長か知事がいた。まさにこの言葉がぴったりな理由。ダミーも便利だからという理由ではなくこの切れ端をどう利用するかという困惑から産まれた。
モデリング
まだ行けるかなからまだ行けるのかに変わって随分、後は加齢による進化を待つしかないという。マダムも昔みたいな絶対性はないしイドもそのレールを追走していたから共倒れに近い状態になりつつある。じゃその後どうなってしまうのか。オープンワールドになってしまう。この単語非常に怪しく、危ない。何処が何処から繋がっているのかわからんのですよ。みたこともない人が現れて。だから今は慎重に取り扱わないと後に戻れん状態になる。でもなぜかスッキリした自分がいるんだな。現状じゃだめだってこれじゃいかんって。
別れの始まりは出会いの始まりって自分でも身に沁みて思う。これで全てが終わったわけじゃないしいつか120%信頼できる人間を手にするまで
つづく
