Memory

それまでは何もかもが駄目だった。自分の存在価値が見いだせないそんなスパイラルだった。ある日CDを買いに行く途中別府橋の下で自我に目覚めた。そうか世間はこんなふうな仕組みなんだ。俺は高笑いをした。後には戻れなかった

(若年の記憶

何か90年代って末期なんだけれど自分には思い入れがありますね。プレステがまだ現役で動いていたし。VAIOも買ったしテレキャスター買ったのもこの頃だった。欲しい物がまだあった時期だった。物欲は立派な原動力だった。まだあの頃はたしかに怪しい時代だったけれど味わえるならもう一回戻ってみたい時代ではありますね。ゲーセンも本屋もレンタルショップもあった。

それまで友達と同じことして同じ感想持ってとまだ自分の性格が全面に出ていなかった時期。たしかに何かに護られ運ばれていると思う。それじゃいかんと思い始めた時期でもありました。まだ先になりますけれど日記をパソコンにつけ始めることを始めました。それをネットに公開して実験して今に至っています。最初は駄目出しや誰が見るんだろうという複雑な感情が沸々。飛び込んでみなければわからないことだらけだわなとつくづく世間の仕組みを知る。デッサンセンス狂っている漫画描いても連載してれば上手くなります

高校の頃の写経も役に立っていると自分は睨んでいます。ノートをひたすらとった後、で別のノートに書く。羅列なんですけれど型を作る上で重要かな。書く上でセンスも大事ですけれど地味な作業も大事だと思います。

あれから高校の先生、書くことだけは生業にしています。情けねぇ人生送っているけれどこればっかは継続しているんですよ。

タイピングを憶えたのが特打でゲーム感覚で習う。今の御時世パソコン使えない人も増えていますがブラインドタッチくらいは憶えとけ。今は紙に書くことは殆どないからなぁ。漢字が抜け落ちてはいますが読み方と語彙は増えています。

90年代までは鮮明にらしさがある。けれど2000年からほとんど着色されてない。育英や東の躍進も今となっては泡のよう。それで今年は意を決して生で観戦することを心がけます。やっぱね現実回帰が2000年からのキーワードだと思うのよ。それを怠った折れは。。みんなも終わった後にあれってなんだっけと思わないようお互い思い出つくりましょう

しかし不謹慎だが独りになったことで強くなった。それに嫌気が差した人間は勝手にいろんなことを始めた時期でもあった

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