どんなに過酷な環境だったとしても縁をつなぐことを忘れていたから
(今思うこと
思うに中学の時虐待を受けていたんですね。スーファミやゲーセン、ジャンプに没頭した。そんでもって中学は3人くらいで散解した。昔あった店もやはり縁を繋ぐことを疎かにしてしまったのかもしれない。後になって伝手が亡くなっていくんですよね。後友達を選ぶ選択肢も。人との付き合いを少し甘く見すぎたというか軽視した面もあります。当時は学校という組織があったけれど、だんだん帰属意識がなくなり最後は独りの手に委ねられるハイリスクハイフリー。大人になってこんなんじゃなかったと思わないように生返事でもいいんだ、その人と少しでも繋がる気概を
予算
軽く見積もると輸送料込み込みで50€はするだろう。しばし虚脱状態。というのも最近緊縮で削りに削った挙げ句元に戻すやり方がわからなくなった。ないものはないと半ば意を決してメスを入れたらスッカスカになってしまった。一見無駄に見える予算も自分を護ってくれていたんだ
まとめ
午前は堅くなりすぎているので落ちます。ただ繋がっているという意識が今日も僕を揺り動かす